私は、岡山の湯郷温泉というところで、創業88年の「季譜の里」という旅館を経営する4代目オーナーです。おかげさまで「季譜の里」はミシュラン3つ星、JTBアンケートでも10年以上連続で岡山一位の評判をいただいております。
私が直島で旅館をやるきっかけは、湯郷で小さく仕事を営む建設会社の社長からの話でした。その建設会社は、季譜の里の隣に民家を建てていました。正直、少し景観が悪くなるので嬉しい工事ではありませんでしたが、自分の土地でないところに家が建つことに文句が言える訳でもないので、その工事について、私自身はさして興味がありませんでした。
ある日、湯郷にあるバーでお酒を飲んでいたら、その建設会社の社長さんがおられました。たまたま隣の席になり、話をするきっかけがありました。
「佐々木くんの旅館のスタッフはみんなすごいね」
突然、そんな話をされて、何のことを言われるのか構えてしまいました。
「佐々木くんのところのスタッフは、みんな挨拶する」
スタッフの駐車場はちょうど広瀬さんの工事現場に隣接していて、車を止めたら現場の横を通り過ぎ旅館に入るようになっていました。
「そんな会社滅多にないよ」
確かに、工事をしている側が挨拶する話はよく聞くはなし。工事で迷惑を掛けるからクレームにならないようにする挨拶です。しかし、迷惑かけられている側がいつも挨拶するというのは、ちょっと出来た子たちなのかも知れないと思いました。当然といえば、当然のことですが。
それがきっかけで広瀬さんは随分うちの旅館を気に入ってくれたみたいで、
「佐々木さん、直島で旅館をやらないか」
という話に発展していきました。突然の話だったので、すぐに私もイエスとは言えませんでしたが、数日考えて、広瀬さんにやってみたいと連絡しました。
直島は広瀬さんの故郷でした。まだ広瀬さんのおじさんは直島に住んでいてお好み焼き屋をやっていました。広瀬さんもそこにプレハブを建てて、工事の人が来た時に使う簡易な宿をやっていました。
「直島は高級な宿泊施設としてベネッセがある。それ以外はわしらみたいな安い宿が100近くある。ちょうどいいくらいの中間層の宿が一つもないんよ。そんな宿があれば需要があると思うで」
それが広瀬さんの見解でした。そして地元の建設会社の社長を紹介してくれました。
「一月にだいたい二人くらいここで宿泊施設をしたいってくるんですよ。でも、ほとんど土地がないんです。島の三分の一は三菱マテリアルが使っていて、残りの三分の一はベネッセの土地、残りの三分の一に住民が住んでいるんですが、ほとんどが家が建っている状態です」
石井社長は最初にそう説明してくれました。地図をみながら広瀬さんと直島を回ってみましたが、確かに言われる通り、旅館を建てられそうな土地はありませんでした。
しかし、二週間ほどして石井社長から連絡がきました。
「佐々木さん、いい土地が見つかったので見に来ませんか」
実は、その土地を見つけてくれたのは石井社長の奥さんでした。
石井社長と話していた時、たまたま奥さんと奥さんの友達夫婦が話をしていて、たまたま来週季譜の里へ来ると言われたので名刺を渡したのを思い出しました。その夫婦が季譜の里へ来てくれて、とても気に入ってくれたみたいで、その話を石井さん夫婦にしたところ、そんな旅館をやっている会社が来てくれるならきっと直島が面白くなると、急に乗り気になってくれたみたいでした。
後に町役場に土地の開発許可申請を出しに行った時にも、
「ここが残っていたのには気が付きませんでした」
と町役場の職員さんに言われたほどの盲点のような場所でした。
なぜなら島なので誰もが海辺を探しますが、この土地は島の中心に近い山間に位置する場所だからです。
この土地を手に入れられたのは、季譜の里のスタッフたちのお陰でした。
世界的にも『現代アートの島』として有名な直島で、日本旅館が持つ「おもてなし」の文化と価値を世界に伝えるため、そして直島を世界一の観光の島にするために、私はこの地で旅館を営む決意をしました。